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Les parents n'aiment pas toujours leur enfant.
「 山へ柴刈りに、と川へ洗濯に、は間引きのことだ」
教職の授業中に、先生がそういった時、私は衝撃を受けた。その真偽のほどは定かではない。インターネットを使って検索もしてみたが、結局正しいことはわからなかった。
しかし、確かに時代背景を鑑みるに、まびきの表現であると考えられなくもない。その事実に驚いてしまった。
山へ生まれてしまった子どもを置いていく。生まれた幼い子供を川へ流す。どちらも言われてみれば、ありうる気がしてくる。桃太郎も、川流しにあった子供ではないかという説もある。また、山姥と言われた人たちも、年老いて山に捨てられた老人たちであったという話もある。野生の犬猫ならぬ、野生の人間だ。恐ろしいのに、それでいて、哀しい。
昔の歌には、多く意味が込められている気がする。その情景をはっきり歌ったわけではないが、実は隠された意味があったというもの。「かごめかごめ」や「はないちもんめ」もさまざまな解釈がされているが、確かに色々と考えることができるだけに、興味深いと思う。
しかし、個人的にはその歌の解釈に、でっちあげや強引なこじつけがあっては欲しくないと思う。でたらめではなく、何か意図があって書かれたものであると好奇心が満たされる気がする。
「ドナドナ」の歌詞にもユダヤ人の強制収容所へ送られるという意味合いが込められていると知った時は驚いた。
普段、何気なくうたっている歌や物語の中に、裏の意味を見つけることは、とても面白いと思う。そこを深く掘り下げていければ、なんらかの研究につながるのではないだろうか。今日は、そんな授業とは全く関係愛ふとした先生のおしゃべりが、耳に残ってしまった。
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