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Ils travaillent comme un boeuf.


車に乗っている時、学生服を着た人々と最近多くすれ違う。冬休みのあいだ、彼らは目標の学校へ合格するためにせっせと塾へ通い詰めているのだ。

正月の三が日から、中高生が塾へと自転車で向かうのを、私は母と散歩しながら見ていた。彼らは、今が稼ぎ時なのだ。公立、私立のそれぞれの受験さえ終わってしまえばパタリといなくなる。来年の受験生を募集するまでのわずかな間だけ、パタリと。

私の家の傍に塾がいくつかあることが関係しているのだろう。彼らはこんな寒い日でもマフラーをして白い息を吐きながら、黙々と勉強をしているのである。毎年見かける、彼、彼女はけっして同じ人々ではない。しかし、同じ枠組みに組み込まれ、同じ機能を果たす歯車たちの一部なのではないだろうか。

彼らはある一定の基準を満たさなければ志望校に行くことができないのだ。一定の基準。その基準に満たないものたちは、振り分けられ、振り落とされてしまう。それは学力至上主義といえるのではないだろうか。学力がなければ、望むところへ行けないのだから。

私は中学の頃の二人の友人を思い出す。彼女たちは、どちらも、勉強が良くできるわけではなかった。けれど、強い個性を持った人たちであったのだ。

一人は、三人兄弟の一番上であった。斜に構えた態度をとり、悪いものに憧れる、将来彼女はどうなるのかと内心私が心配していた人だった。しかし、彼女は決して道を踏み外したりはしなかった。彼女の弟と妹でそれぞれに問題があったときいたけれど、それでも彼女は一番強かった。まじめに働いて、まじめに暮らしている。まじめだから良いと言っているわけではない。すぐ傍の堕落に目を向けなかったのが強いと言っているのだ。荒れなかった人。彼女は一つの意志を貫いている。

もう一人は、警察官の娘だった。だからといって特別正義感が強いわけでもなく、むしろふざけまわって先生に目をつけられる性質だった。彼女は同級生からも、軽く馬鹿にされることもあったし、なにかと目立つ人だった。そんな彼女も大学まで通い、去年の2010年には警察で働く仕事に就職したと聞いた。しかし、重要なのは彼女の人柄だ。彼女は、勉強もほどほどに、まわりを楽しくさせるのがうまかった。彼女の周りには、色んな人たちが集まっていたことを私は覚えている。彼女はその性格のまま、独自の道を行った人なのだ。

彼女たちの学力は、一定量測れる計量カップの中の水のようなものだ。基準に満たない学力。計量カップの足りない水だ。しかし、彼女たちは他の能力があふれている。

計量カップなんかで測れない能力がたくさんあふれているというのに、日本の学校でそれを計る術はほとんどない。計量カップ以外で水を測れば、破裂する餅のような能力が、きっと一人一人に潜んでいる。

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