忍者ブログ
[21]  [20]  [19]  [14]  [13]  [12]  [11]  [10]  [9]  [8]  [7
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。





Les gens doivent avoir le coeur de la fantôme d'opéra.


芝居は、人を偽るのか?マスクは、人を変えるのか?

変身願望について。今朝の朝日新聞で、中高生の間で「だてマスク」なるものが流行っているという記事を読んだ。自らの顔貌に自信がない、付けることで安心し、また集中できるなどの意見が載っていた。

私はこの記事を読み終わってすぐ、猛烈な苛立ちに襲われた。なんて消極的な。記事にさらに書かれていたが、プリクラを撮る時に、口の部分を塗りつぶすことで目元を際立たせようとすることも流行なのだとか。

自分に自信がないから隠すのか。何故自信を持てないのだろうと思ってしまう。確かに最近は、「根拠のない自信を持つ人」と「過度に自信がない人」との二極化が進んでいるように思われる。私はどちらかというと後者なのだが、それでも自分の顔くらいは堂々と見せてもいいのではないかと思う。特別醜いわけでも美しいわけでもない。美醜なんてその時代でだって変わる。顔の造詣が自信につながるというのが解せないのだ。

そんな矢先、後輩から、芝居を手伝ってくれないかとオファーが来た。一番下の学年の子たちが急に一気に辞めてしまったらしい。私は、てっきり役者の人数が足りないので役者をやってくれという話かと思った。

しかし、話を聞いてみると役者は自分たちがやる、それ以外のことで細々したことを手伝ってくれないかという話だった。要するに裏方、および雑務だ。なんとも失礼な話である。芝居の顔は勿論役者だ。しかし、華々しい部分は自分たちがやって、残りの煩雑なところ、役者にかまけてばかりいたせいでわからないところは学びもせずに押しつけるとは。少し、残念に思う。

さて、何故いきなり芝居の話を挿入したかというと、役を演じる、ということは、今の自分でない誰かに変身するという意味があると思ったからだ。ひと時でも変身したい、変わりたいと思うのならば、芝居をしてみたらいいと思う。今までの自分でない方向に全力で力を注ぐことができる。それは本当に貴重な体験だ。

マスクなんて、そんなもので内面を覆ってしまうより、外側から殻を破って別の自分をさらけ出してみたらいい。

マスク、仮面というとガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』を思い出す。彼はコーラスガールだった、クリスティーヌ・ダーエに純粋な愛を捧げる。醜い顔をした、美しい心の化け物。その悲喜劇性が人の心をいつでも捕らえるのだろうか。怪人だけでなく、『ノートルダム・ド・パリ』のカジモドもそうだ。

怪人はその醜い顔をさらしたが、クリスティーヌは彼に同情、共感を持ってキスをする。それは、恋人に持つような愛情ではなかったけれど。それでも怪人を醜いだけの化け物とはもう思わなかったのだろうと思う。

たとえ、自信のない顔であっても、それを好んでくれる人はいるかもしれない。私たちは、それぞれの顔に、怪人の心を持てばいい。


PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
フリーエリア
最新コメント
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
忍者ブログ [PR]

material by: * Photograph by:Sayo(Le*gume)