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J'ai trouvé un morceau de papier dans le tiroir.
引き出しをふと開けてみたら、メモが見つかった。
私は、こうやって日々のことを書く前から、自らの身の回りで起きたことや、その時思ったこと、大事だと思ったことをメモする癖がついていた。そのおかげで、引き出しの中にしまいっぱなしになっていたこのメモを見つけることとなったわけだ。
『できればムカつかずに生きたい』。田口ランディの本である。2010年6月の18日に読了した。近くの総合図書館で借りてきて読んだものだ。その中で、
「女子高生の売春と、臓器移植の問題は本質が一緒」と話している人の言葉が載っていた。田口ランディ自身の言葉ではなかったはずだ。しかし私はその言葉にとても興味をひかれた。これらは、発想が同じなのだそうである。
自分の身体なら、自分で何をしても良いだろうという考え方。自分の身体なのだから意のままにしてもいいし、何をしても良い、そういうことだろうか。それは、自分の所有物だから、個人が裁量していいのだという考えだ、とも書いてあった。その考え方の延長に売春の問題と臓器移植の問題がある。
本当だろうか。考えとしては面白いが、どこかずれているような感じもする。
体を売れば、お金になる。臓器を移植すれば感謝される。これらの問題は本当に本質が一緒なのだろうか。
私はそうは思わない。臓器の場合は、とくに家族間においてならば、金銭のやり取りというものはない。売春は目に見える形で報酬をもらうのに対し、臓器においては勿論金銭問題も発生するだろうが、最も重要なことは、患者の治癒だ。求められるのはその患者が健康になった姿とそれに付随する感謝の気持ちだ。
明らかに目的が異なっている。臓器を提供してくれるドナーにしたって、決して「自分の体だからどうしようと勝手」といったような投げやりな気持ちではないと思う。
そういった、もやもやを、この本を読んだ当時の私は感じていたのだろう。だから、メモとしてその個所を写し取った。今、文章にしてみると自分の考えていることが整理できる。その作業を怠ったまま引き出しの奥底に閉じ込めておいたのはいただけないが、それを見つけることができて良かったと思う。
引き出しの中の売春と臓器。これらの問題を少しだけ考えることができた。
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