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J'ai vu les tableaux de Van Gogh.
茶道に行った後、姉といっしょに大宰府であっているゴッホ展に行ってきた。大宰府の九州国立博物館でゴッホ展行われていた。今日見てきたものは、どれもフィンセント・ファン・ゴッホの美術館から持ってきた作品群であったらしい。ゴッホ以外のゴッホ美術館に収納されている作品も見ることができた。シスレー、ミレークールベなどを。
ゴッホ展は明日までで終わりだ。茶道の教室にいるときにお弟子さんと先生が話しているのを聞いて、姉と即決してすぐに出かけた。
今日は冬に逆戻りしたような寒い日で、大宰府では雪がわさわさと降り積もっていった。しかし、ゴッホの作品を見に行くことができて良かったと思う。彼の代表的な作品「ひまわり」、「夜のカフェテラス」、「糸杉」などは見られなかったが、「アルルの寝室」や「自画像」をみることができた。
私が好きな絵は「アルルの寝室」だ。私がフランスにいた頃に、この絵を使ったポスターが、寮に貼ってあったので印象に残っている。ポスターはこの絵の上に「寮の食堂を利用しなさい」といったような言葉が書かれていたと思う。また、この絵の部屋が、寮の部屋に割と似ていたので面白く思ったものだった。
今日、その絵の本物を見てきたわけだ。この絵は、他にも同じような絵が2枚あるらしい。今日見た原画は、痛みがあったため、ゴッホ自身が手直ししようとした。しかし、もとの絵の出来を壊すかもしれないと恐れた弟のテオが、複製を作ることを勧めたらしい。それにしても面白い絵だ。そう思うと同時に私もこんなふうな絵が描いてみたい気がしてくる。
彼の作品の中でも明るい色合いの絵が好きだ。農民を描いた渋いタッチの絵や、コンテを使ったものも味わいがあるが、私は弾けんばかりの明るさのある絵の方が好ましく思った。
私は細かい絵を描くときは、たいてい今の状況にストレスを感じている。何らかのフラストレーションがたまることによって無性に絵が描きたくなるのだ。ゴッホも絵を描くことで何かの、うっ憤晴らしのようなことをしていたのかもしれない。ただ、私の場合は、絵ばかりをずっと描いていると、それもまた窮屈になってしまい、全く描かない時期というものも出てくる。
彼も生涯色々な仕事をしたようであるが、生真面目そうな印象を受ける。弟のテオの助けがあって、生活していたというゴッホ。いろいろな葛藤が作品に影響を与えたのだろうか。
フランスで、寮にいた時私は多く絵を描いていた。そうすることで目の前の厭なこと苦しいことから逃れようと、せめていっときでも気晴らしがしたいと思っていた。ゴッホの絵によく似た寮の一室で、本当に死ぬことを意識していた。今では、それが遠い夢の話のような気がしてくる。
私も絵が描いてみたい。だが、死ぬときだけは、自らの手で幕を引きたくないと思う。
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