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Hier, j'ai trop bu d'alcool.
引き続き、警察官の娘である友人のこと。しかし、この名前は、彼女を表わすのにもう適当ではないだろう。彼女はすでに働いている。彼女は、刑務官となったのだ。
刑務官の友人。妙にかっこいい。そう思う私はお調子者なのだろうか。
お調子者なのだろう。こと、酒に関しては。
昨日、夕刻から友人と酒を飲みはじめた。韓国のお酒「マッコリ」に加え、焼酎「白波」、缶ビールを飲みつつ、スナック菓子やつまみを食べた。
彼女は始終平気そうに話していたが、私は違った。そして、今日起きて確認し合うと、彼女も後半のあたりは意識が定かではなかったらしい。恐ろしいことである。
そんな彼女とアルコールで満たされた夜を明かして、現在の私に至る。気分は最悪。まさに「気持ち悪い」である。
彼女は、なんだかんだで結局へ行きそうに朝食と昼食を私の家族とともにしていたが、私は早々とギブアップした。
一時は、もう、気持の悪さと頭の痛さで、全ての内臓がなくなればいいという思いさえしたが、ぐったり横になっていると次第に治ってきた。
せっかく来てくれた友人をもてなすこともできずこの体たらくである。しかし、友人と飲んで語ることができたのは本当に楽しかった。また、会いたいと思う。
そのときこそは、苦しまない程度に、節度ある飲み方をして、楽しみたいものである。
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Je suis allee au cinema avec une amie.
『太平洋の奇跡』という映画を見てきた。一緒に見てきたのは、警察官の親を持つ私の友人だ。久しぶりに映画を観に行ったが、彼女は、私と2010年に観に行った『シャーロックホームズ』以来であったという。
私は、個人的には、戦争の絡む映画をみるのは好まない。感情移入しやすい性分なので、必要以上に考えすぎてしまう。自分でもそれが、あざといような気がして好きではないのだ。「泣かせる映画」で「泣かされる」のが嫌いなように、「戦争はやってはいけない」という強いメッセージに「そうだ、その通りだ」と迎合するのが厭なのである。
勿論、反戦を主張すべきだ。しかし、映画やテレビなどの媒体をとおして、それを鵜呑みにするのではなく、自分で考えたうえで、反対だと言いたい。そう思うのだ。
しかし、友人が見ようと言うので、いつもと違う感想を得られるやも、と思い見てみた。
そして、そう、悪くもないのだと思った。戦争映画は重たいし、苦しかったりきつかったり、血みどろになったりするのではないかと思ったが、そんなグロテスクな描写を連ねる感じではなかった。
フォックスと呼ばれた、大場大尉という日本兵を中心にサイパンで繰り広げられる、日本兵たちの最後の足掻き。日本人女性が今風の顔をしていたのが少々気になったが、友人は大場大尉の演技が微妙であるとぶつぶつ言っていた。
こうやって、映画の感想を言い合えるのも楽しい。なにせ、私たちは、本当に久しぶりに会ったのだ。
これから、私たちは、酌を交わし合う予定だ。それもまた一興。果たして私は彼女についていけるだろうか…。
Il y avait une exposition de M Jean Fernand a Daimaru.
友人と連れ立って、大丸の6階で行われている、絵の展示会を見に行った。15点ほどの作品のある、こじんまりとした一角だった。
そのささやかな片隅で、まるで色鉛筆で描いたような淡い作品たちが、静かに並べられていた。にぎやかな展示というものもある。それは、来ている人や展示場全体の雰囲気の活気というものもあるが、作品自体がエネルギッシュで訴えかけることもある。そういうにぎやかさ。
今日の展示で、それはなかった。作品たちはみな、淡い春の光の、風や幸せ、花や何げない風景で、それ自身がまどろんでいるようだった。
イル・ド・フランスの画家ジャン・フェルナン氏による、印象派の絵に影響を受けたものだった。絵画は抽象的なものではなく、色合いが油絵であるのにかかわらずパステル調といった感じであった。
甘い見た目の、女性が好みそうな絵だ。本人が来ると言うので、行ってみたのだが、あいにく休憩をとっており、会話をすることはかなわなかった。しかし、彼の直筆の入ったポストカードを貰って来た。
案外早く終わってしまった展示場見学だったがそれなりに悪くはなかったのではないかと思う。
作品の購入も受け付けていたが、そちらの方は、手が出せなかった。こういう絵が、買えるようになればいいと思うところなのだろうが、私は、こういう絵が、描けるようになればいいと思ってしまった。
これから行くフランスで、色々な景色を目に焼き付けて、描いてみたい。
J'ai vu la représentation de théâtre avec mes amies
lorsque j'étais étudiante en 2ème année.
瓜生明希葉の「フォークロア」という曲を聴いている。
この曲が挿入歌として使われている、「MIDSSUMER CAROL~ガマ王子VSザリガニ魔人~」という演劇も見た。
知り合いに紹介されてアルバムを貸してもらった。その声がとても好きになったのは、大学一年の時だ。それから、いまでも聞いている。
芝居を観る前から曲は知っていたのだが、実際に芝居を見て、この曲が流れた瞬間、
鳥肌が立った。
演出面でも効果はてきめんな個所で使われていた。だから、曲を聴いているとその時の息苦しいような切ないような感覚が戻ってくる。誰からも愛されなかった老人と、一日しか記憶の持たない少女の物語。
大学生協で安く売られていたのを、友達と三人で観に行った。一幕最後で号泣したせいで、すぐに休憩で明りがついたとき、顔をぬぐうのに必死だった。あのときは、本当に、面白くて笑ってしまうのに、苦しくて哀しい、複雑な気持ちが入りまじっていた。
あれは、けっこう前のことだったのだな、と思う。
また、観にいきたい。あの作品と曲が、私の中で強く結び付いている。より、多くの人が、この日本の演劇を多く知って欲しいと思う。
On a bavardé en francçais pendant la pause café.
大学院で、さて、どうしようかと思った。
友人とウェブ上での入学願書申し込みをしたかったのだが、肝心のフォームがなかなか見つからなかった。一応それらしいのを友人が見つけてはくれたのだが、そこからクリックして進めるサイトがない。
妙に時間ばかりかかってしまって、疲労のたまる作業だった。一応、明日も再チャレンジしてみる心算である。
今日はその後、友人と学食でフランス語でのおしゃべりに挑戦してみた。
彼女の話すフランス語が大体わかったことに内心ホッとしていた。私の破たんしたフランス語も身ぶり手ぶりでごまかせば何とかいけるものらしい。
フランス語を話す機会というものは本当に限られている。だから、こんなふうに時間をとって話せるのは楽しかった。また、去年の初めごろ、フランス語で話してみた時よりも、スムーズに会話が進み、話題が途切れることもなかった。かなりの成長ではないかと思う。
フランス語で話していると、同じ人と話しているような気がしない。それだけ言葉によって制限があるのだ。しかし、母国語でない方が、ストレートに思いを伝えなければならないから、分かりやすいとも思う。生のままの自分が出ているように感じる。
フランス語で話すことは、ある程度の制限と同時に、新しい自分の一面を垣間見させてくれる気がする。