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Les parents n'aiment pas toujours leur enfant.



「 山へ柴刈りに、と川へ洗濯に、は間引きのことだ」

教職の授業中に、先生がそういった時、私は衝撃を受けた。その真偽のほどは定かではない。インターネットを使って検索もしてみたが、結局正しいことはわからなかった。

しかし、確かに時代背景を鑑みるに、まびきの表現であると考えられなくもない。その事実に驚いてしまった。

山へ生まれてしまった子どもを置いていく。生まれた幼い子供を川へ流す。どちらも言われてみれば、ありうる気がしてくる。桃太郎も、川流しにあった子供ではないかという説もある。また、山姥と言われた人たちも、年老いて山に捨てられた老人たちであったという話もある。野生の犬猫ならぬ、野生の人間だ。恐ろしいのに、それでいて、哀しい。

昔の歌には、多く意味が込められている気がする。その情景をはっきり歌ったわけではないが、実は隠された意味があったというもの。「かごめかごめ」や「はないちもんめ」もさまざまな解釈がされているが、確かに色々と考えることができるだけに、興味深いと思う。

しかし、個人的にはその歌の解釈に、でっちあげや強引なこじつけがあっては欲しくないと思う。でたらめではなく、何か意図があって書かれたものであると好奇心が満たされる気がする。

「ドナドナ」の歌詞にもユダヤ人の強制収容所へ送られるという意味合いが込められていると知った時は驚いた。

普段、何気なくうたっている歌や物語の中に、裏の意味を見つけることは、とても面白いと思う。そこを深く掘り下げていければ、なんらかの研究につながるのではないだろうか。今日は、そんな授業とは全く関係愛ふとした先生のおしゃべりが、耳に残ってしまった。


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J'ai fait du thé à sa maison en France.


蓬莱卓(ほうらいじょく)というものを知っているだろうか。今日、茶道で飾られていたお棚がそういう名前であった。

表千家13代家元、即中斎宗左が好んでいた棚であるらしい。

茶道の先生は、しばしば私と姉に茶道具や、お掛け軸、茶道での自らの経験などを語ってくれるが、私はなかなか覚えることができない。しかし、長く続けることになるであろう茶道のことだ。より知っていきたいと思う。

私は茶道を5年間やっている。今年は始まったばかりだが、6年目というわけだ。
その割になかなか上達していないが、いつまでも長く続けたいと思う日本文化の一つである。

私が大学3年の頃フランスでホームステイをしていた時には、お茶をフランスで一度だけ点てたことがある。ホームステイ先のマダムの見る前で、日本から送ってもらった抹茶の粉を使って。茶道の道具は茶杓と茶筅を持ってきていたので、とにかくそれだけあれば十分だった。

フランスで買った陶器の器に抹茶の粉を入れて、茶杓でほぐす。湯沸かしポットのお湯を入れて、茶筅でシャカシャカとかき混ぜる。マダムは少しもわからないだろうに、ただ黙って、私がお茶を点てるのを見ていてくれた。

ごくごく簡略化された形での立礼(いすなどに座ったまま行う)だったが、70歳を超えるマダムには無理なく楽しんでもらいたかった。

マダムと一緒に、近くのパティスリーで買ってきたシュークリームを食べながら、お茶を飲んだ。その時のことを思うと、ひどく懐かしくなる。まだ、あれからそんなに時間はたっていないというのに。

お茶の記憶が、これからも多くの思い出を作っていけると良いと思う。

お茶で記憶を重ねていきたい。





Le Belge a fait une manifestation.


23日、ベルギーでデモが行われた。デモの原因は、新政権が発足しないことへの不満と閉塞感だ。ベルギーは北部の豊かなオランダ語地域と、貧しい南部のフランス語地域に分かれている。そこから二つの地域を合わせた政権をつくりだしているのだが、今回その新政権が7カ月ほど、(200日以上)決まっていないのだそうだ。23日にはデモにより、3万4000人の人が集まって訴えていたらしい。

テレビでこのニュースを聞いたとき、まずインタビューされた人のフランス語が耳に飛び込んできた。だから、瞬時にフランスでストライキが起こったのかと思ったのだが、ベルギーでの話だった。


デモを行うことは、自らを表明することだ。暴力的な方法でなく、自らの気持ちを臆せず言えるのは貴重な体験だ。私は、日本でデモに参加したことはないし、直接見たこともない。

デモは、糾弾するという意味合いが色濃いが、ストライキはどこかお祭りのようなものなのだとフランス人が言っていたことを思い出す。戦う、というニュアンスからは外れるのだろうか。これからフランスに行くにあたり、ストライキを経験することもあるのではないかと思う。もし、可能ならば、そこに明確な意志を持って参加してみたい。そこで感じられる思想や空気を言うものを味わってみたいのだ。

デモの、あの殺伐とした深刻さとは違い、ストライキには、どこかその意思表明に高揚感のようなものがまじっているような気がする。

ともあれ、ベルギーでも早く新しい政権ができ、政治と国とが安定して欲しいと思う。





On a l'épée à double tranchant.


もろ刃の剣。この言葉がぴったりくる気がする。

フランス人女性の先生の授業があった。彼女が話してくれたフランスのことについての一つ。それは、大学の授業料、入学金がタダであるということ。なんとも魅力的な話である。フランスはさまざまなシステム(映画館や美術館の入場料も)タダであったり、日本に比べ極端に安かったりする。これは、この国の税金が高いからなのだそうだ。税金を高くとっているためにその分に資金を他に当てることができる。それを聞いて思ったのは、ダイエット方法だ。

ダイエット方法は多く存在するが、リスクのないものは少ない、必ずといっていいほど何らかの犠牲がともなう。それを犠牲と思うかどうかは個人で意見の分かれるところであろうが。

何らかの便利さや快適さを手に入れようとすると、その分のひずみや歪みがどこかに現われてくる。

公共の機関のものを安くしようと思えば、税金が高くなる。ダイエットしようと思えば、時間、体力、金銭面での負担がかかる。あるいは、部分的に痩せはしても、他の部分が太ってしまうこともあるかもしれない。

良いと思ってやっていたことが、実は悪かったとわかることもあるかもしれない。体に良いと思ってやっていた、半身浴が、実は肩を冷やし、汗を大量にかきすぎるので、体に良くないと言われたように。


何かを得るためには、何かを失わないといけないのか。しかし、その均衡を保っていくことはできるかもしれない。私たちは常に揺れ動く振り子のようだ。快適さと不便さ、それから情報にも踊らされて、ゆらゆら、ゆらゆらと不安に動いている。

授業料免除とダイエット。この二つの関係を良い表わすならば、


もろ刃の剣。この言葉がぴったりくる気がするのである。




 
Ce soir je prends le the.


下の階へ行って、紅茶用のお湯を沸かしていた時のこと。

今夜は家族みんな帰りが遅いらしいので、一人でレディーグレーの紅茶を楽しむことにした。レディーグレーの紅茶の香りが私はたまらなく好きだ。はじめてそのお茶を飲んだのは、フランスで、以来スーパーなどで見かけては迷わず買ってしまう。そんな紅茶のおともに、ビスケットでも、と思ったが近くに林檎があったのでそちらを食べることにした。

糖分の多いこの果物は、冷たくてみずみずしく、歯ごたえがある。紅茶に合うかといわれると疑問の残るところであるが、単品でかじる分には悪くない。

いつもは切り分けて食べる林檎を今日は皮だけむいて、丸かじりしてみた。いつも食べる食物でも、異なる食べ方をすると感覚が違ってくるように思う。

林檎のでこぼこした形や、汁気が手につく感じなど、いつもはない面白さがある。

食べものが豊富でなかった時代、林檎だって栄養をつけるために大切な果物だっただろう。風邪のときは林檎、というのは、私の子どもの頃から染みついている。

先日茶道に行った時にお弟子さんの一人が話していたが、「甘酒は昔の点滴」だとか。

甘酒も体を温め健康に良い飲み物と重宝されていた。身の回りにある食べ物の中で、最上のものを。大切なことだと思う。

今は、多くの食べ物であふれているけれど、素朴な食べ物の効果と美味しさが私は好きだ。

今夜は甘酒が手元にないので温かいレディーグレーを飲むことにする。美味しい食べ物は、人を幸福にしてくれるようだ。



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