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Le Kimono est les traditionnels vêtements japonais.
今日、茶道の初釜があった。毎年この時期になると、大濠公園にある日本庭園の中で、新年の茶会をするのだ。私は姉といっしょに着物を着て、出かけていった。
着物を着て、ふと思い出したのは、田口ランディのエッセイ『ドリーム・タイム』だ。
まず言われていたのは、着物は呪術として用いられ、体を守る最高のシールドであるということだ。その上で、着物を着ることによる効用について述べられていた。それは主に以下の三つである。
一つ目は、着物の下につける白の肌着について。この白という色が魔を守るための色であるという。正絹の襦袢や着物など絹からできているものは、蚕の繭という邪気を払うものでできている。また、草木染めした布も、植物の生命が糸に宿るものであるらしい。
二つ目は、着物に使われる帯についてだ。帯は人の体内の中心にある、丹田というところを保護する。その最も邪気の攻撃を受けやすく、邪気を吸い取りやすい部分を、帯がシールドとなって防いでくれることで効果があるのだという。
三つ目は、着物の帯の上を結ぶ帯締めについて。着物は人間を梱包するように紐で結ぶ。結ぶという行為自体がすでに呪術であるのだとか。帯締めもまた、魔よけであり、その独特の結び方はのし袋の、のし等と同じで、存在そのものが、めでたいのだ。
このように、着物を着ることによって高潔でいられると田口ランディは主張する。
着物と、着物を着る上で必要な小道具たちが、人間の身体を守る働きを持つらしい。茶道を習っているおかげで、着物を着る機会は割と多い方である。だから、彼女のエッセイのこの部分は非常に興味深かった。
また、茶道にも、結界というものがあると、『めづめづ和文化研究 京都』に書かれていた。これは小栗左多里とトニーラズロの著作である。扇子は「結界」を意味し、仏界と俗界に分ける。その「結界」を自分の前におくことで、謙虚な気持ちを表すことになるらしい。
日本の文化の奥には、そのような呪術的なものが潜んでいるような気がする。魔よけや、福寄せが様々な道(茶道、香道、弓道など)を受け継いでいく過程で、制度化され、その本来の意味合いが抜け落ちてしまったのではないだろうか。
日本の伝統文化の裏に潜む、隠された意味があるのならばぜひ知ってみたいと思う。
着物を着て、ふと思い出したのは、田口ランディのエッセイ『ドリーム・タイム』だ。
まず言われていたのは、着物は呪術として用いられ、体を守る最高のシールドであるということだ。その上で、着物を着ることによる効用について述べられていた。それは主に以下の三つである。
一つ目は、着物の下につける白の肌着について。この白という色が魔を守るための色であるという。正絹の襦袢や着物など絹からできているものは、蚕の繭という邪気を払うものでできている。また、草木染めした布も、植物の生命が糸に宿るものであるらしい。
二つ目は、着物に使われる帯についてだ。帯は人の体内の中心にある、丹田というところを保護する。その最も邪気の攻撃を受けやすく、邪気を吸い取りやすい部分を、帯がシールドとなって防いでくれることで効果があるのだという。
三つ目は、着物の帯の上を結ぶ帯締めについて。着物は人間を梱包するように紐で結ぶ。結ぶという行為自体がすでに呪術であるのだとか。帯締めもまた、魔よけであり、その独特の結び方はのし袋の、のし等と同じで、存在そのものが、めでたいのだ。
このように、着物を着ることによって高潔でいられると田口ランディは主張する。
着物と、着物を着る上で必要な小道具たちが、人間の身体を守る働きを持つらしい。茶道を習っているおかげで、着物を着る機会は割と多い方である。だから、彼女のエッセイのこの部分は非常に興味深かった。
また、茶道にも、結界というものがあると、『めづめづ和文化研究 京都』に書かれていた。これは小栗左多里とトニーラズロの著作である。扇子は「結界」を意味し、仏界と俗界に分ける。その「結界」を自分の前におくことで、謙虚な気持ちを表すことになるらしい。
日本の文化の奥には、そのような呪術的なものが潜んでいるような気がする。魔よけや、福寄せが様々な道(茶道、香道、弓道など)を受け継いでいく過程で、制度化され、その本来の意味合いが抜け落ちてしまったのではないだろうか。
日本の伝統文化の裏に潜む、隠された意味があるのならばぜひ知ってみたいと思う。
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L'homme n'est que poussière.
一日中家にいた。今日は学校がセンター入試の準備で、全学休校となっていたのだ。
遅く起きた朝、私は言いようのない眠気を持てあましながら、気分転換にと掃除をした。部屋の掃除をしていると、一週間分のほこりが一挙に掃除機の中へと吸い込まれていった。吸い込まれていく綿ぼこりたちを見ながら、私は思った。
私も、この塵芥ほどの存在でしかないのだ、と。
この発見自体は別段、新しいことではない。しかし、改めてそれを自らの問題として認識すると、何か焦りのようなものがわき起こってくるのである。
自分はほこり程度の存在なのだ、と考える。それを想う時、私は人間はいつか死ぬのだ、という命題にぶち当たったのと同じ感覚を覚えてしまう。自分がほこり程度の存在と認識した時、そこに生じる感情は絶望だろうか、それとも希望だろうか?
どちらも考えられるだろう。絶望と感じた時は、世界を斜に構えてみるか、諦観をもって眺めるだろう。いてもいなくても変わらないような、いつ消滅かもしれない存在ならば、何をどうしても仕方がないと。怠惰で投げやりになる。あるいは、なんでも享楽的に、破壊的に「一度きりの人生」を試してみたくなるかもしれない。その刹那的な喜びに浸るためだけに生きるのだ。
逆に希望として見るならどうか。その小さな存在、短い生命を生きる存在としての「私」が、悔いのない人生を送るために、行動をするだろう。そして、今までためらってできなかったことを、前に進むために行うだろう。
感情は、そのときどきの状況によって変化する。それこそほこりのように、ふわふわと、また、刻一刻と変化する。ひどく疲れているならば、私は無力に陥ってしまうかもしれない。だが、今日掃除をした後、窓を開けて冷気を部屋に招き入れると、その冷たい空気が、私の頭に浸み渡るような気がした。
私は、まだ希望の方で生きていけるようだ。
ほこりの私は、冷たい空気の中にいる。
Elle chante tout seule dans le monde.
歌を歌うということは、世界と調和することだ。
久しぶりにカラオケへ行った。西新の近くにあるカラオケで、行ったのは今年は初めてだ。一緒に行ったのは、友人二人。フリータイムで3時間ほど歌ってきた。
一人の友人が、カラオケで曲の予約をしていた。彼女は連続で同じ歌手のメドレーを4曲入れ、その後も気に入ったものを次々と予約していった。
私は少し驚いてしまった。彼女が歌を歌いたいのだということはわかる。しかし、ここには、私ともう一人の友人がいるのだ。彼女はまるで一人でカラオケにでも来たかのように遠慮なく曲を入れていってしまう。
もう一人の友人が、自分たちの曲を間に割り込めるよう予約することでなんとか順番に歌うことができた。その後、5曲連続で曲を入れた彼女は、高いヒールの靴を履いたまま、備え付けのテーブルにかかとを載せ、買ってきたおにぎりを食べながら歌った。時折、疲れたとか、自らの入れた曲に飽きたとか言いながらも歌い続けた。私と友人が黙って見ていると一緒に歌うよう誘いかけたが、私は彼女の歌う曲を知らなかった。
私や友人が歌う番になると彼女は一緒に知らないところも遮って歌い、飽きるとソファに寝転がってぼんやりとしていた。
私は不思議に思った。彼女は歌うのが好きであるという。そして、よく一人でカラオケに来るのだとも言っていた。だから、彼女にとってカラオケの場にいるということは、彼女の王国に入りこむということなのだろう。彼女の王国の中では彼女が一番で、他に入り込む余地はない。
しかし、実際の生活の中では異なる。いかなる場合においても、人や場所との調和を考えて生きていかなければならない。カラオケという一つの空間においても、そこに他者が存在するならば、そこは一人だけの世界ではない。彼女はそれに気が付いているのだろうか。
他者を排除し、生きていくのならば、どんなわがままでも許されるだろう。そこにいるのが自分一人であるならば。
自分一人で歌う歌は、誰の心に訴えかけるわけでもない、評価して貰うわけでも、自分を認めてもらうわけでもない。ただあるとすれば自らを慰めることだろうか。
歌を歌うということは一つの世界、それも自分以外の大勢の人がいる世界に向けて発信することではないだろうか。そこには一つの調和が生まれる。誰にも認められない、気がつかれることのない、自分だけが満足するので良いのならば、自分だけの王国に閉じこもっているだけで良いのだ。ただ、外に向かって歌うというのならばその時は、王国の外の荒野を、じっと見つめる眼が必要になってくる。
On sens du jamais vu.
今まで当たり前だった物事や景色が、はじめてみるもののように感じる。そんな経験はないだろうか。
ももちパレスで沖縄三線の教室を終え、肩に掛けた荷物を持って、ふと前方を見つめたら、いきなり自分がどこにいるのかわからなくなった。正確にはわからなくなったのではない。何か、おかしい、間違っている、整合性のない噛みあわないものがあるのだと感じたのだ。
抽象な表現ばかりを使ってしまったが、このような気分になることがたまにある。今年になっては初めてだ。
別に酔っぱらっているわけではない。ただ、いつも歩いているはずの道が、こんなに高いところにあったのだろうかと、わからなくなってしまった。私は、迷いつつ、ももちパレスとバスの停留所をつなぐ歩道橋のようになったところを歩いた。本当に、この道で良いのか。その高さに思わず下を覗き込みたい衝動に駆られた。時折起こる、この感覚。デジャヴの反対で、ジャメヴというらしい。なぜそうなるのか理由はわからない。だが、あえて考えてみるならば、私の体調と関連があるのかも知れない。
ジャメヴを感じたのは割と最近、ここ5,6年ほど前からのような気がする。それまでは圧倒的にデジャヴの方が多かった。小学校の頃のデジャヴがある。
教室の左右の端におかれた緑色のボード。学級通信や、生徒の誕生日、その他の地域のお知らせなどを貼るのだが、そこに、私の友人が私の方を見て立っていた。髪の長い小柄な女の子だった。
その時私は、明らかなデジャヴを感じた。チラシを張るボードの前に少女が立っている。些細ではあるけれどこのデジャヴだけは、今でもずっと覚えている。
デジャヴやジャメヴの感覚は説明しがたいが、どこか自分は世界から隔絶されていて自分の肉体よりどこか一歩離れた遠いところで物事を見ているような気分にさせられる。
今、私は軽い胃の痛みを感じる。確信はないが、体調があまり良くない時にフワフワしたような感覚に陥ることが多いように思う。
ジャメヴやデジャヴが体の異変のサインだとしたら、どうだろうか。体の内部が異変を察知して視覚や感覚に作用するのか。体の異変を、周辺に漂う気配が察知してこのような違和感を目に見える形で示すのか。
目に見えなくとも空気はある。何か見えないものの作用で、体調を伝えるなどしてくれるのならば面白いのではないか。勿論霊的な世界の存在を全面的に肯定したいわけではない。しかしジャメヴやデジャヴなど、一定の感覚を定義しただけにすぎないし、個々人で違う感覚が皆それに収まるとも思わないのだ。
私の場合それが体調と関連しているのならば、今度あの感覚に陥った時より検証してみる価値はあるのではないかと思っている。ジャメヴを考えることが、ひいては自らの身体を考えることになるのだから。
Centre Pompidou est une nouvelle symbole ?
なぜ、人は「もの」を残したがるのだろうか。
「現代のエッフェル塔」。
今日の授業中、ロラン・バルトの『エッフェル塔』という作品を解読している時に教わった。フランスにおいて、現代のエッフェル塔と言われている建物は何か?
それは、ポンピドゥーセンターである。エッフェル塔は、建設以前、建設途中、また建設後にも多く、パリ市民から批判を受けてきた建物だ。
現代のエッフェル塔と言われる理由は三つある。
一つは、新しすぎたということ。その素材や見た目、場との調和から見ても猛烈な抗議が起こるほどであった。
二つ目は、一つ目と関連しているが、建設自体が危うくなりかけていたということ。建物の周りには嘆願書を持った民衆たちが詰めかけるというシーンもあった。
三つ目は、この建物が「見る・見られる」の二つの役割を持っているということである。建物を眺めること、それは一つの行為である。そしていざ建物に入ると、そこにあるのはパリの風景だけだ。建物の内部に入ってしまえば、建物の外にいる人から自分も含めて見られる対象となる。主体と客体の逆転が起こっているのだ。これらのことは全てエッフェル塔と共通している。
ただ、問題にしたいのはこの共通点ではない。人が、「もの」という形で自らの存在を残したいと思うことについてである。
ポンピドゥーセンターは、フランスの首相、ジョルジュ・ポンピドゥーによって作られた。偉大な人物は、その力を誇示するために何らかの目に見える形で物を残したがる。無論、一般的な人の多くが考えることであるが、それの達成にはいくつかの条件が伴う。
ナポレオンも権力の象徴として、パリに凱旋門を作らせたが、完成する前に彼は亡くなっている。皮肉なことに彼が凱旋門を通ったのは、生きている時ではなかったのだ。
人は、何らかの形でものを残したがる、恐らくは多くの人の記憶に長くとどまるために。願わくば、永遠に。その対象は、建造物であったり、肉体であったり、歌であったりと様々だ。
私が今こうして、「書く」という行為も自らの存在証明の手段の一つだろう。誰かの記憶に留まり続けていたいというのは、多くの人が抱く欲望だ。しかし本当にその欲望をかなえられる人はごくわずかだ。
全てを覚えていることはできないし、記憶もいつかは薄れ、あるいは変質し、消えていく。ものを残すことに躍起になるのではなく、この場所に今いるということを、その空気のように当たり前な幸運を、喜ぶだけではいけないのだろうか。